昭和30年代に「原子力総合研究所」設置の誘致運動があった

市民大学での話・その2
 昭和31年(1956年)に日本原子力委員会が発足し、横須賀市議会は市内に「日本原子力総合研究所」の設置を求める要望書を国に提出、市、商工会議所をはじめとする諸団体で誘致運動を展開しました。市の職員も署名活動を行い、10万人余の署名が集まったそうです。
当時、群馬県高崎市が手を挙げ、若き中曽根康弘代議士が誘致運動に取り組んでいました。一方、本市でも三浦市出身の志村茂治代議士が関わっていました。しかし、選考の段階では、政治家がからんでいる場所は難しいとして本市も高崎市も外され、東海村に原子力研究所の設置が決まりました。もし、本市が選ばれていれば、どのようになっていたでしょうか。
 そのような経過のあったこともあり、本市には、立教大学の原子力研究所(実験用原子炉が設置されたが、現在は終了して廃止)、超高圧電力研究所などがつくられ、それが大きくなって現在の電力中央研究所に至っています。

ピーマン1.JPG
ピーマンがこんなに大きく育ちました。150センチくらいの高さがあるでしょうか。実が鈴なりについているのですが、残念ながらみんな小さめです。

ピーマン3.JPG

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