横浜市との土地の帰属問題から「本町山中線」ができた

 今日は、予算決算常任委員会があり、来週から始まる12月定例議会の予定議案と日程について審査されました。一般質問は14名が行う予定です。
 昨日は、市民大学で井上・元助役の講演を聞いてきました。昭和30年代にあった横浜市との境界問題、西地区への原子力研究所の誘致、平作川水害とコスモス広場や湘南国際村のできた話で、井上さんが実際に仕事で関わってきたことも多く、おもしろい話でした。

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 現在の日産追浜工場は旧海軍が埋め立てたものですが、戦後は米軍に接収され、昭和34年に返還されました。しかし、その土地の帰属をめぐって横浜市と対立し、県が斡旋案を提示して収まりました。その後、昭和59年に横浜市から所有権の放棄と国道357号の追浜延伸を本市に了承してほしい旨の申し入れがあり、新たに県からの斡旋案で合意し、現在に至っています。
 このとき、延伸により国道16号が混雑するので県に「本町山中線」の建設を要望しました。しかし、当時は誰が建設するのかは決まっておらず、後日、県の道路公社が有料道路をつくることになったそうです。最初は、16号の上に2階建てで、今の郵便局あたりまでの絵が描かれたのですが、採算面から短くなり、現在のルートになったとのこと。実際にベースのゲート前までは都市計画決定がなされており、現況もその部分は道路幅が広くなっています。

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 鶴久保小学校のイチョウ並木と鶴が丘への市道。

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